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     § 真夜中の朗読者 § 

 三十年以上前のことだがボランティア活動の一環として、地元の図書館から依頼されて五年間ほど朗読の仕事を務めたことがある。

視覚障害者のために希望されている本(おおむね単行本一冊)を読むのだがこれには二種類ある。ひとつは聴き手と対面で読む。これは本業の仕事をしながらのことだから当然時間に制約があってむずかしい。私が引き受けたのはマイクに向かって読んだものをテープに収めて提供する方である。

対面朗読には時間的制約の他にぶっつけ本番という緊張感もあろうが、テープ録音にも言い知れぬ苦労がある。

録音テープは図書館のライブラリーとして永く保存され、不特定の利用者に聴かれることになる。そのためテープ提出後に厳密なチェックを受ける。当然自身で何度か聴き直して、これでよしというところで渡すのだが、初めの頃は単行本一冊の数ページに一、二ヶ所ほどの割合で付箋が貼られて戻されて来た記憶がある。うっかりした読み違えは受け入れるしかないのだが、一番厄介なのは微妙なアクセントの違いについての指摘である。

私は地方出身ではあるが、標準語のスピーカーとして自信を持っていたので、これには頭を抱えてしまった。アクセントと言っても、もちろん関西の人の話し言葉のような明らかな違いではない。が指摘され口に出して比較してみると、その微妙な違いを認めざるを得ないのである。

図書館側の立場はよくわかる。著名な作家が文字にして残したものを音声に置き換えて記録するのである。音声にしたら違う意味に解釈されては作品自体を損なってしまう。慎重を期すのは当然と言える。そこでまず「日本語発音アクセント辞典」なるものを買い込むことから始めることとなった。これは読み物としてもなかなか面白く、いまだに私の愛読書のひとつとなっている。

 それはさておき「深夜の朗読者」としての私の旅がこうして始まった。まず机の上の天井からタコ糸を使ってマイクを吊るす。胸マイクやスタンドを使ってもいいのだが手足を動かした時の振動などをできるだけ拾わないようにするには空中にぶら下げるのが一番いい。ちなみに屋根を打つ雨音や近所の犬の遠吠えもご法度である。雨の夜は諦めるしかないし、犬が鳴いたらテープを巻き戻すことになる。救急車や消防車のサイレンなどが聞こえてくると思わず舌打ちしたくなる。

一冊を読み上げ校正を繰り返した末納品するまでにはおおよそ五、六ヶ月を要したので五年間で十作品に届いたかどうか。携わった作品に漱石や太宰といったいわゆる文学作品はまったくない。図書館側も読みたいという需要があって求めてくるので本のバリエーションは豊か、自分では買ってまで読むことはないだろうというものばかりだった

それまでは佐々木譲などという作家の名前は耳にしたこともなかったが、彼の『ベルリン飛行司令』は引き込まれるようにして読み進んだ。

そうした本の中でも、その後蔵書として手元に置くことになった本が一冊ある。コンラート・ローレンツの古典的名著『攻撃』。すべての同一種族間の攻撃行動は、種を維持するための本能に由来するものであるとか、攻撃が儀式化されて無害になっていく過程などが実に興味深く語られる。喫茶店などで金魚槽を見るたびに、小さな水槽の四隅にも魚たちのテリトリーが生まれるという一節を思い出し、つい覗き込んでしまう。

 あの頃のテープはとっくにCD化されている (再生機を持たない人が多いだろうから)だろうが、もし可能なら三十年前の自分の声を聞いてみたいと思う。

  昨年学生時代に過ごした県人寮の依頼を受けて講演をした。終わって一息ついているところへ高校時代のクラスメイトから声をかけられた。「やあ、お前の話を聞いていたら高校時代が懐かしくなったよ。」一瞬なんのことを言っているのかわからなかったが、謎解きを聞いて思い出した。高校の三年間私は毎週月曜日のホームルームの五十分間、教壇に立って自分の好みで選んだ本を朗読していたのである。

どうも根っからの朗読者かもしれ
ない。