戻る 目次 次へ

 

     § 水盃(みずさかずき)  § 

卒業を一ケ月後に控えたある日私は原因不明の眩暈に襲われ、自分が通う大学附属病院の六人部屋の住人になった。約一ケ月の入院の間病室の住人は何度か入れ替わったが、退院するまで変わらなかった二人がいた。一人は向かいのベッドのやせぎすだがいかにも骨太な一見職人風のK氏で、私が入院して間もない日に、「あんた将棋をやるかい?」と聞いてきた。「少し」と答えると、嬉しそうに薄い将棋盤を持ってベッドサイドの小テーブルの上に置いた。「飛車落としていいよ」と言うのを少々ムカッとして受けたが、一、二手で角を落としてもかなう相手でないとわかった。Kはすぐに察して駒を並べ直し、何日かに渡るレッスンが始まった。私の腕前はなかなか上達しなかったが、そうした日々は入院生活に潤いを与えてくれた。

もう一人は向かいの列の窓際、私から一番遠いベッドのS氏で、いつも何やら分厚な本に読みふけっていた。ある日の将棋レッスンが一段落したのを見計らったようにSが「よかったら話しませんか」と話しかけてきた。神田川の土手の芽生えを眺めながら私はSの静かな語り口に耳を傾けた。枕元に積み上げられた本はどれも表紙が手垢でまみれたような古代史関係のもので、一冊の背中には『古事記』の文字が見て取れた。Sの話はしかし意想外のもので「私はUFOの存在を信じているんですよ」というものであった。語り口は60歳を越えているとは思えない少年のように熱っぽいものであった。聖書にはインド半島に近い「エレファンチナ島」という記述があるがこの島は数千メートルの上空からでないと象の形とは確認できない広大な島だとか、ナスカの地上絵をどう思いますかとか当時の私には刮目の話ばかりであった。中でも熱心だったのは古事記の記載から四国のある場所にUFOが降り立ったことが分かっているというものだった。そして「今年の夏に一緒に四国へ行ってみませんか」と真顔で誘ってきた。私はほとんど考えもせず、というよりSのあまりにおだやかな口調に引き込まれるように「連れて行ってください」と答えた。

3月も終わりに近く私は卒業のための補習授業の必要に迫られて退院することになった。現代医学は私の病気を解決しなかったが入院生活そのものが社会復帰を促してくれた。Sに退院のあいさつに向かうと「茶碗もっておいでよ、乾杯しよう」と笑顔を向けられた。その声を聞いてKが「そうだそうだ水盃で乾杯だ」と近寄ってきた。私は泣きべそをかきながら水を飲みほした。

その年の夏の挨拶を兼ねて二人にハガキを書いた。Kからは返事はなかった。私からのハガキを手ににやにやしながら、学生さんよ、おらあ字を書くのは苦手だよとでも言っているさまが想像できた。Sの家族から「父は亡くなりました」と簡単なはがきが来た。亡くなったのは私の退院の日の翌月だった。私の眼裏を見たこともないUFOが過った。

戻る 目次 次へ