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§ 音の記憶 §



奇妙な話だが六十年経っても消えない音の記憶がある。風狂の人と言われていた父親が急逝したとき、三歳の一人息子に遺された一風変わった遺品の山の中で子どもが手にとって遊べるものといえば朝顔形の吹出し口を持った手回し蓄音機とむき出しのま山と積まれたSPレコード盤だけであった。そのレコード群の多岐にわたったジャンルの中で私が好んだのはクラシック音楽であった。
 戦後の混乱からもその後の復興からも取り残されたような信州の寒村で幼少年期をこれらの
SPレコードを友としてひっそりと過ごしたのである。

竹針の先を“肥後の守”で尖らせながら来る日も来る日も“朝顔”の前に座り込んでいた。三十分足らずのベートーベンの第五交響曲が三枚の盤に収められていた。それが誰の演奏だったかなどはもはや知るすべもないが、たとえば冒頭の連打音などはもちろんのこと、あのホルンのファンファーレなど今もってあのときそのままに耳元で鳴らすことができる。その演奏にはそれぞれの楽器が持つ固有のフレージングがあった。さまざまな出自を持つ奏者たちがそう上等ではない楽器たちにそれぞれの人生を語らせているような熱いものがあった。黒く厚ぼったい円盤から人と楽器の微妙な息遣いが感じられた。私は針音の向こうの音の主にひたすら思いを寄せ、恋した。

その後世の中がLPの時代となり大学進学に伴い故郷を後にすることになった時から今に続く『音』へのあくなき追求が始まった。その音とは他ならぬあの『朝顔の音』言い換えれば『父の音』であった。
 さまざまな失敗と浪費を重ねた末最後に行き着いた所は最も単純な回路の自作アンプと徹底的に箱の共鳴を退けたフェルトを六枚重ねただけのこれも自作のスピーカーである。この装置からは例えばカザルスの弓から松脂が飛び散る音が聞こえる。グールドの、クライバーの息遣いが聞こえる。
 この正直すぎる装置にはたとえば“帝王”と呼ばれた指揮者の音楽はなじまない。美しい造形の極みにある彼の音楽からは楽器の生のフレージングが失われしまった。それをのっぺりと再現してしまうのである。また彼の音楽からは演奏者の息遣いが聞こえて来ない上に饒舌に過ぎてそれ以上に想像できるものがない。
 この装置は饒舌を好まない。それは俳句にたとえれば芭蕉の“謂応せて何か有”、あるいは句会などで主宰が繰り返し言うところの、俳句は言い尽くさないところに余情があるというところに共通項があるような気がする。送り手と受け手の交流に積極的な不完全さがあることの方が共感を呼ぶ可能性が大きいということであろう。

詮ずる所ひたすら追い求めてきたのは父の『音』というよりも、あの無骨な板に閉じ込められて喘ぎながらも声を上げていた虚飾のない『音楽』だったということになる。

それにしても風狂の父親の遺産の呪縛から逃れられないまま、すでに父親の享年を越えてしまった。随分遠い旅をしてきたものだ。



      (当エッセイは俳句結社『炎環』2009年エッセイ賞に入選したものです)

 

 

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