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           § ヴィスコンティ映画の音楽§

 男が鼻唄を歌いながら画面に現れる。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の冒頭シーン。

食堂を経営するブラガーナは醜く太っていて見るからにオペラのアリアなど口遊みそうにない男だが、歌っているのはヴェルディの傑作オペラ『椿姫』のバリトンのアリア《プロヴァンスの海と陸》。

物語はそこへやってきた流れ者のジーノと、ブラガーノの美しい妻との不倫の恋、そしてお定まりの事故を装った夫殺しと発展するのだが、多くのカットでモノクロ映画特有の「映画の世界を自由に想像させてくれる」映像を見せてくれる。

ブラガーノは海辺で行なわれるのど自慢に参加する。その時の歌がこの《プロヴァンスの海と陸》で、これがまた実に本格的な歌声で、歌声が流れたまま別の画面を映す映像が邪魔になるくらい聴き惚れてしまう。演じるファン・デ・ランダは有名な役者でなかったようだがこの歌声に限って言えば役どころであったと思う。ちなみにこの映画には郵便配達は登場しない。そのいわれについては別の話になる。

余談だが私は、《プロヴァンスの海と陸》はレナート・ブルゾンを聴いてすっかり惚れこんでしまい、毎年の歌の教室の発表会では2曲の内の1曲は必ずこの曲を歌ってきた。

さてこの稿ではヴィスコンティのそのほかの作品に流れる音楽について書いてみたい。
ヴィスコンティは自身の多くの作品にクラシックの思いがけない音楽を使っている。

『家族の肖像』ではバート・ランカスターが演ずる老教授の家に、突然の間借り人として住み込む美青年コンラッドが教授の部屋で一枚のレコードを見つけ「僕はベーム盤を持っている」と言いながら針を落としたのがモーツァルトのコンサート・アリア《神よ、あなたにお伝えできれば》。この盤は会話からするとバーンスタイン盤だがネットで検索してもソプラノが誰なのか確認できなかった。オーボエの華麗な導入に乗せて美しいソプラノの歌唱。モーツァルトが別人の書いたオペラの中に挿入した三つのアリアの内のひとつ。ロマンティックなアリアでヴィスコンティが、この曲をあの場面(二人だけの部屋)で使ったことに彼の意図を感じる。
同じくバート・ランカスターの主演でアラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレが共演したイタリア統一戦争の頃の没落する貴族と新時代に向かう若者を描いた『山猫』の音楽はニノ・ロータ。映画の大半を華麗な舞踏会の場面が占めているので多くの音楽を楽しむことができる。ここでもヴェルディの『椿姫』の舞踏会の音楽をはじめワルツ、ポルカなどヴァリエーション豊富だ。

ヴィスコンティ作品で忘れてならないのがトーマス・マンの同名小説をダーク・ボガード主演で映画化した『ベニスに死す』。ベニスを訪れた老作曲家がたまたま同じホテルに泊まっているポーランド貴族の一家の一人美少年タッジオに究極の美を見出し、自らは厚化粧を施して少年を追い求めながら何も果たされることなくリド島の浜辺で孤独な死を迎える。私も夏のある日この浜辺の寝椅子に座って夢想のタッジオを追いかけたことがある。映画の全編に流れるのがグスタフ・マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」。マーラーが後に妻となる恋人のために作曲した妖艶さに満ちたメロディは「音が画に先行する」とも言われるヴィスコンティの真骨頂の選曲。この映画にはマーラーの他の曲も流れており、ヴィスコンティが原作を翻案するに際して主人公の「老作曲家」をトーマス・マンと同時にマーラーを想定したことが分かる。マン38歳の時の作品で芸術家と普通人との二元性、アンバランスについての自身の葛藤を描いた名作である。 

ヴィスコンティのドイツ三部作のひとつの『ルートヴィッヒ』はバイエルンの狂王ルートヴィッヒU世の41年の生涯を描いた長編映画。全人生においてワーグナーに心酔していた王であるから当然ワーグナーの作品がふんだんに流れる。印象に残るのは『トリスタンとイゾルデ』の《前奏曲 愛の死》、《ジークフリート牧歌》、『タンホイザー』からいくつかで、特に白鳥が浮かぶ人工洞窟の場面のチェロで演奏される《夕星の歌》は素晴らしい。ここだけ取り出して何回も聴きたいような心に残る演奏であった。ルートヴィッヒの人生そのものとも思える『ローエングリン』からは《第一幕への前奏曲》、《エルザの歌》など時間的にはそれほど多くはない。

ワーグナー役の俳優は本人に似ていて違和感を持たせないが、描かれ方は、借金まみれで、しかもフォン・ビューローの妻コジマを奪った男というイメージが強調されているためか、登場回数も少なく、ワーグナーに対するルートヴィッヒの愛が表出しつくされていない思いがあった。

映画の初めと終わりのピアノとその変奏によるアンサンブル《悲歌》は自死した狂王への追悼曲となった。

ヴィスコンティ映画ではないがワーグナーついでに言えばフランシス・F・コッポラの『地獄の黙示録』の《ワルキューレの騎行》だろう。

もともとはワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』の第2作《ワルキューレ》第3幕の冒頭部分で後に独立した管弦楽曲となり、楽劇のストーリ―ともマッチして華々しい戦闘場面にはふさわしい。

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