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更新版”ドロミテ・ヴェネツィアへの旅    
(フォト・PHOTOページに写真を掲載)   
 

 小さなバッグに山歩き用を含めて4組の着替えと3台のカメラとそれらの充電器,それにいつものように電子ブックに本20冊分(せっかくの旅行先で本なんか読まなくたって、と言ってくれる人もいるが、旅の記憶と本の感動が重なり合って、忘れられない思い出になるのです)を、詰め込んでの慌ただしい出立となった。


 一旦スイスとの国境に近いマジョーレ湖畔の町ストレーザに宿をとり、3日間本を読んだり泳いだり、夜はコンサートに出かけたりして、昨日までの仕事の疲れをとることに専念した。ちょうど運良く1ヵ月半にわたるストレーザ国際音楽祭が始まったばかりで、マジョーレ湖畔、といっても絶壁に貼りつくようにして建つセント・カテリーナ教会でバッハの無伴奏チェロソナタを聴くことができた。この曲の演奏としては珍しく、教会の独特の快い響きの中で揺れ動くような自由な演奏に異国の夜が更けるままのひと時を過ごした。


      
          
 
セント・カテリーナ教会

 
もう7,8年前のことになるかもしれない。バイエルンの美しい町ミュンヘンを当然一軒くらいは空き宿があるだろうとタカをくくって予約もなしに再訪したときのこと。あてにしていた州立歌劇場の近くの四星ホテルにニベもなく断られたのを皮切りに訪ねる宿ことごとくが満室。その旅は妻のほかに次女と80歳の妻の母親が一緒だったから車中泊するわけにはいかない。無計画の責任を一身に受けて、南に向けて車を走らせる道すがら、ZIMMERの看板はあれどどこも満室。日没の遅い夏のヨーロッパとは言え10時ともなればさすがに夜の部だが行けども行けども空き室なし。"見本市”っていったい何なのだとぶつくさ言いつつも、途方に暮れてもはやこれまでと諦めかけた所に遠くぽつんと明りが見え近づくにつれおぼろな看板が鮮明に。そこには”ZIMMER FREI"(空き室あり)の文字。車から転がり出るようにしてフロントに走る。ニコニコ顔のマダムから宿泊オーケー、夕食もあるよと聞いた途端に激しい低血糖症状が出てバタン。しかし樹木に囲まれた庭園でのディナーの素晴らしかったこと・・・。
 
 
翌日は早朝に起き出して村の高台まで歩き自分がどの辺にいるのかを地図を見ながら確認。朝食後直ちに出発。その後のルートはローゼンハイムを経て、何気に国境を越えてオーストリアに入り、グロスグロックナー山に向かうホーホ・アルペン道路をひた走り、フランツヨーゼフ・ヘーエの氷河の宿に宿泊、翌日はハイリゲンプルートに降りてそこからザルツカンマーグートへ。ザンクト・ヴォルフガング湖などで遊んだ後たどり着いたのがゴーザウ湖近くの家族経営の小さな宿。そのゴーザウ湖のかなたに見えていた奇怪な形をした氷河を頂く山がダハシュタイン。
 
 ミュンヘンとヴェネツィアを南北に結ぶ線とフランス、スイス、北イタリア、ドイツ、オーストリアを横断するように伸びるヨーロッパアルプスの交わるこのあたりは、有史以前珊瑚礁の広がる海だったといわれる。その山容は奇怪とも、鋭利とも、また壮絶とも表現される。
 雪渓をいただき、白く光り輝くダハシュタインを凝視しながらいつかきっと、あの山の向こうチロルの南に延々と続くというドロミテ山塊を訪れようと心に誓った。・・・・・そして8年の歳月を経て今念願のドロミテの地に立つ。

 
 ドロミテにはミラノ・ヴェローナを経由して西の玄関口ボルツァーノから入った。
 ボルツァーノに着いた日はフニヴィア・デル・レノンのケーブルでソプラボルツァーノに登りおもちゃのような一両仕立ての電車に乗って車中から、太古には海中にあったというドロミテの山々を眺める。見え隠れする奇怪な山容のローゼンガルテン、その左に天空に浮かぶ巨大な円盤のようにセラ山群が連なる光景は圧巻。

 ボルツァーノ 


         
                           セラ山群

 
          
 ローゼンガルテン

 2日目はドロミテの見所のほぼ西半分をバスで廻るツアーに参加。カレッツァ湖→カナツェイ→ポルドイ峠→セラ峠→シウシ高原→ヴァル・ガルデナを経てボルツァーノに戻るコース。すれ違うのも命がけのような狭い道路、レンタカーをキャンセルしてよかったと胸をなでおろす。バスはカレッツァ湖で一時停車。『ドロミテの宝石』の緑の鏡面にラテマールが自らの姿を映す。湖をゆっくりひとまわりするうちに遠くローゼンガルテンが浮かび上がるように眺められる。ポルドイ峠で昼食。巨大艦船のようなセラ山群を背にして前方遠くに雪渓をいただく最高峰マルモラーダが女王のように美しい横顔を見せる。サッソ・セラからは同じマルモラーダが威厳を持った父のような表情を示す。
                ギリギリのすれ違い
 ラテマールを湖面に映すカレッツァ湖
                                      


 
      シウシから見るラングコーフェルの雄姿

   
セラ山群とちょっと見えるドロミテの女王マルモラーダの氷河とラングコーフェルの全景
 

 
今回は最近の旅では珍しく日本の方に会った。ツアーの旅では行動が制限されるのと人付き合いがわずらわしく、旅では勝手気ままに過ごしたい我々には向かないのではないかといつも自主旅行をしているため日本の方は見かけることはあっても軽いあいさつ程度で声をかける機会もないままに旅を終えている。考えてみればパートナーと会話する以外日本語を使わずに過ごしているわけだが、不自由な現地の言葉で切り抜けているのも結構神経を使っているに違いない。

 今回会ったのは二人のさわやかな若いお嬢さんで、言葉を交わしてみると何かほっとしたものを感じさせてくれる素敵なカップルだった。中学時代の同級生らしく、物腰もやわらかく、話し方にも構えるところがなく、その屈託のなさがこちらの心を安んじさせてくれるのかもしれない。
 ヨーロッパにはどこから入ったの?との問いに、私たち少し長い旅をしてるんです、3ヶ月くらい、でももうちょっと疲れてきました、とほほえみを浮かべながら控えめな答えが返ってきた。

 
聞けば6月にトルコに入り、美味しいものを食べながら2週間の滞在、そのあとギリシャに渡り、ここでは美味しいものは高くて食べられないながら、ミコノスやクレタの島々をやはり2週間かけて巡り歩き、イタリアには南から入り、シチリア、アマルフィ 、ナポリ、ローマなどを経て、フィレンツェにしばらく滞在、ウィフィッツなどの美術館を巡り歩き、マントヴァ、フェラーラなどで遊んだ後、夏の音楽祭中のヴェローナではしっかりアリーナの階段席で『カルメン』と『マダム・バタフライ』を楽しみ、北上してボルツァーノにたどり着いたという。イタリア滞在1ヵ月半の後は、夜行列車でドイツに入りヨーロッパバスを使ってロマンティック街道を巡った後帰国の予定という。もちろんこの一章は帰国したばかりのお二人からの快諾を得て書いている。


              
        同じバスに乗り合わせたヨウコさんとエリさん

 
初めはこの旅行のため5年勤めた職場をやめたエリさん(その時点ではヨウコさん、エリさんとしか分らなかったので)ひとりの企画だったらしいが話を聞いてヨウコさんも仕事をやめて乗ったということらしい。若い人がその特権を無駄にしないで行動することは素敵なことだと思う。特に海外の旅は(若い人の特権ではないが若いほど効率よく)日本人としてのアイデンティティを自覚ししっかりしたものにするのにうってつけのものだと思う。もちろん彼女たちはアイデンティティの確立のために旅をしているわけではないが、結果としてついてくるものが私には目に見えているので嬉しく思い、その言動の巧まざる自然さにいとおしさを感じた。1日1万円を目安の計画と聞いたが、1ユーロ155円の為替相場は私にとっても苦しいものである。おそらく来て過ごしてみたら予想外だったに違いない。ワンコイン何分かのシャワーを使いながら今日の疲れをとり明日のエネルギーを培えるのも若さの力なのかもしれない。
 人は旅をして己を知り、謙虚になる。その積み重ねがいつしか自分がいかなる他人でもない、他ならぬ自分自身であることに気づかせてくれる。旅は人から傲慢さを奪い取り、隣人を愛する心を育てる。 
 
 彼女たちとは今後の旅の無事を願ってその日別れた。が何日か後に再び巡りあうことになる。

      
        
絵理さん容子さんの提供写真

 
翌日ボルツァーノを発ち列車でコルティナ・ダンペッツォへと向かった。(続く)

 
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