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§ 安 息 日 §


 
寝床の中で目を覚ます。閉じたままのまぶたを通して陽の光を感ずる。窓ガラスを隔てて冷気が肌を撫でる。小鳥の絶え間ないさえずりが聞こえる。朝だ。上天気らしい。布団のぬくもりの中で心地よい気だるさを楽しむ。
 ああ、しかし朝なのだ。やがて起きなければならない。まてよ、ところで今日は何曜日だっけ。すぐには思いだせない。昨日はどんなことがあったっけ、などと考えてすぐ思い出すこともあるが、最近は悪くすると1、2分あれこれ思いめぐらしたあげく、ようやく何曜日か知ることがある。
 気がついたら日曜日というときは幸せである。朝のアロマの香りはローズウッド、オレンジにちょっぴりミントを加える。そして病みつきのハーブティ“親指姫のこりない人生”をゆっくり味わいながらバッハでも聴こう。その後レコードはトニ・ブラクストンにかえて、読みかけの『黒人ダービー騎手の栄光』を読もう。その後は・・・と思いはふくらむ。

 これに反し気がついたら月曜日というときの絶望感は筆舌に尽くしがたい。安息日とはよく言ったものだ。1週間を7日と定めた大智もたいしたものだが、そのうちの1日を休息の日としたのは文字どおり、天智である。
 田畑を耕し、鳥獣を追い、木と木をこすり合わせて火をおこしていた我々の祖先たちの日々においては1分間に72の脈拍と28の呼吸数は7日に1度の安息日とテンポが合っていたにちがいない。かなり時代が下がっても日々の時計の針は72の脈拍に附合して動き続けてきた。時間の基準は「一時(いっとき)」であり、それは今の2時間である。2時間単位でものを考えるのなら、脈も存外のんびりと打てようし、呼吸もゆったりとできよう。
 植物の呼吸作用によって生みだされる酸素を人が同じテンポで吸っていた時代はいつの間にか遠のいて、文明の進歩とともに、時間は秒で語られるようになり、超音速、超々音速が取り沙汰されるようになった。人々の脈も呼吸もせかせかとしてきて、たいして仕事をしなくても心身ともにくたびれてしまう。
 世事あらゆることごとが人の生活のテンポも心のリズムも狂わせてしまったのである。
 天智の定めたもうた7日に1度の安息日では呼吸が苦しくなって週休2日制が論じられ、続々導入され始めているのが何よりの証拠とも言えよう。
 
 『悪魔の辞典』の訳本に“安息日”の項が見当たらないのが不思議な気がするが、ビアスに代わり定義すれば、「安息日とはその日に至る過酷な6日間から解放されその日に続く新たな過酷な6日間を想って胸をふさぐ1日。ただしこの1日は他のどの1日よりも短い。」とでもなろうか。
 しかし最近では世のしがらみゆえにその安息日すら侵されがちである。この原稿を書いているのはまさに日曜日。早や陽は東の空高くのぼり、小鳥もさえずりをやめてしまった。“無伴奏チェロソナタ”は今日もお預けである。


         







写真はお気に入りのアロマとハーブの店
ボタニカルズ京王デパート店

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