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§ 定期健診 その効用と間隔のこと(2007・04.20)  §

             
 『君は吉野の千本桜色香よけれど気(木)が多い』などとこの良い季節になると都々逸のひとつも歌いたくなるように心が浮き立つ。今年の桜は見ごたえがあったように思う。何より見頃の期間が長かった。業平ではないが、花も女性もいっそこの世になければ春の心はのどけからましだが、今年は少しのどかだったように思う。もっとも、来ると思って待っているのを承知でなかなか現われなかったりで、この辺りは恋人を待つがごとく少々焦らされたりもした。
 さて桜も終わったことなので、ここで『閑話休題』(ソレハサテオキ、と読む)
 先日人間ドックを受診した。いやドックだからやはり『入った』と言うべきだろう。同時に今やがん健診の最先端技術であるPETも受けてみた。これはPositoron Emission Tomography の略でブドウ糖にアイソトープを組み入れた薬剤を、ごく微量、血管注射によって体内に入れ、身体のさまざまなところにブドウ糖が集まる様子を体外からPET装置で撮影するもの。がん細胞は分裂が盛んに行われるため正常な細胞よりエネルギー源となるブドウ糖を何倍も取り込む性質があるため撮影像では正常組織より黒い影として確認できるのである。出始めのころはごく一部の施設で、これもごく一部のエリート患者を対象にして実施されていたが、今では疾患があって診断のため必要があって撮影するのであれば健保適用も可能と聞く。

 健診の結果は100点ではなかったのは当たり前でがっかりもしなかったが落第点でもなかった。PETも含めての健診について思うのだが、人間のすべての組織について万全の健診というのはありえなのではないか。もし金と暇さえかければすべての疾患を最初期のうちに発見できるのであれば、いまだ原因や治療法が見出せない難病は別として、現代の医学をもってすれば死を回避できるはずだが、現実はそうではない。
 なぜそうかというと、まずすべての臓器に対する完璧な健診というものが未だ実現されていないということ。これは医学の進歩に待つしかない。先述のPETにしてもあまり大きな臓器には向かないし、急性炎症があっても一時的にブドウ糖が集まったりするから、これだけで診断を確定できるわけではない。
 腫瘍マーカーも血液検査で結果が出るので検査を受ける身には結構な検査ではあるが、すべての腫瘍に対してマークされるのでもないし、あまり初期のものだとデータとして把握できなかったりする。
 また急性の感染性疾患などは検査を待つまでもなく死にいたることもある。

 もうひとつの理由。まあ自分が罹ってもおかしくない有名どころの?疾病について考えるとして、たとえば膵臓がんなどは早期発見のためには年2回のCT検査が必要だというが、消化器系のがん検診ひとつとっても『年1回』をきちんと守るにはかなりのエネルギーが要る。仕事の算段をつけ病院に電話して予約を取り前準備のための絶食をし、しかもその都度ばかにならない多額の費用をかける、それを毎年毎年”死ぬまで?”続ける、これにはよほど確固とした意思、貪欲なまでの生きる意欲、場合によっては家族への愛、仕事や趣味への執着などと実にさまざまな要素の積み重ねがなければ持続できるものではない。
 
 そこで私どもの領域の歯科健診だが、最近の傾向はずいぶん様変わりしてきた。少し前までは患者さんに、せめて年1回は健診に来てくださいね、と申し上げていた。それより前は痛くなくてもたまには診せてください、と申し上げるのさえ遠慮しながら、という時代があった。今では私たちの『治療より予防』の呼びかけが患者さんの意識改革と合致した形で3ヶ月健診が定着しつつある。多少手前味噌になるが歯科の場合は短期間での健診の効用はかなりのものだということを、ここ数年間実績を積み重ねてきて自信を持っていえる。竹内歯科医院の患者さんの口腔の状態は非常にハイレベルなところにある。
 
 先述の全身健診と同様、健診間隔が短ければ短いほど病気が発症する機会は確実に減ってくるはずである。ある朝目覚めたら重篤な歯周病になっていたとか大きなむし歯になったなどということは起こりえない。もちろん病気はいつかは起こるかもしれないが今の医療ならば早期に発見されさえすればたいていそれを治癒させることができる。要は痛くもかゆくもないのにこまめに健診のために病院を訪れる気になるかどうかの問題であろう。その辺りで人間の価値観とか執着心とか面倒くさがりかどうかとか、”ま、いいか”的性格かどうかとかが関わってくるにちがいない。ということは病気になるかどうかは身体の事情以前に重要な要因があるということだ。

 そんなことをつらつら考えながら天城山中をさまよっているとき足を傷めてしまった。捻挫かと思って自然治癒にゆだねていたがあまりの痛さに整形外科を受診したら剥離骨折をしていた。まだギブスが外れない。22日の調フィル本番(『悲劇的序曲』!)までに外してもらいたいものだ。

 天城歩きは1泊2日で出かけたがその間に血尿が出て青くなった(いや血尿は赤かったが)。その後細胞診を受けたが悪性細胞はなかった。その数日後夜中に七転八倒の痛みを経験した。もう人生で5回目の激痛とあればおよそ見当もつく。あの血尿もそれだったか・・。そして今夜(4月20日夕)見事なほど馬鹿でかい結石が排泄された。
 骨折だの捻挫だの尿路結石などは「定期健診」の枠の外のもの。転ばぬ先の杖とすれば足腰を鍛え股関節を十分回し、目をしっかり見開いてそろりそろりと歩いていれば骨折や捻挫は防げるかもしれないが、5回に及ぶ腎結石の予防となると何も考えつかない。やれやれ世の中にはさまざまな様態の病気があるものだ。むしろ人生の大半を無病で過ごすことができることの方が奇跡なのかもしれない。

  

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