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§ I FEEL A SONG § 

レコード愛好家に“わたしの一枚”を、というのは半ば拷問に近い問いかけかもしれない。CDが書斎を占領してきたので先ごろから気に入ったものをアップルロスレスの音質でハードディスクに収めラックスマンのD/Aコンバーターを通して聴くようにしている。そこで先日3000枚近いCD1割ほどを待合室に「ご自由にお持ちください」と書いて置いておいたら数日でなくなってしまった。そんな具合でCDは処分するのは不思議と未練を感じないのだが、50年来のレコードの方は何としても手放しがたい。未だに自室の3セットの装置のうちレコードだけはラックスマンの真空管アンプに自作のフェルトスピーカーかタンノイを繋いで聴いている。

レコードでお気に入りの録音がCDでも出ていれば購入することもあるが、そうでないものは、もはや死語となってしまった感のある「青春」のカビの香りのするレコードで聴くことになる。

そこでその一枚だが、お許し願えればジャンル別に選んでみたい。アーティストでLPとCDの両方で全アルバムを所有しているのはビートルズだけだがこれを語り始めたら連載枠を頂かないと尽きることがないので潔く割愛。クラシックでは、バイト代で最初に買ったレコード。ブルーノ・ワルター&コロンビア交響楽団のモーツァルトの40番だ。41番とのカップリングだが好きなのは40番。金ピカのジャケットは今でも光沢を放っている。ジャズではエラ・フィッツジェラルド。一枚を選ぶならば「エラ・イン・ベルリン」。『サマータイム』『マック・ザ・ナイフ』は他の追随を許さない絶唱だ.

しかし究極の一枚となるとR&Bのグラディス・ナイト&ピップスの“I feel a song”に尽きる。ウォーターカラーダメージの幻想的なジャケットに収められた珠玉の名唱。ソウルフルでスローバラードの豊かなメロディの曲ばかりだ。これは輸入盤でおまけの曲が入ったCDもあるが、LPはもはやプレミア価格でしか買えない。

50年代にデビューして60&70年代が絶頂期であったこのグループはバックコーラスが素晴らしく、『夜汽車よジョージアへ』は米ヒットチャートで1位になったことで知られる。このアルバムもタイトルとなった”1 feel a song”をはじめバックコーラスが聴きどころだが、何と言っても映画『追憶』のテーマソングである“The way we were”がいい。このアルバム唯一のライブ録音(デトロイト)でグラディスナイトのソロの絶唱である。曲は彼女の少しハスキーな静かな語りから始まる。”Hey,you know everybody’s talking about the good old days, right?・・・・・・“。語りは続けられ、「思い出そうよ、9月のあの頃を」で始まる”Try to remember“の一節が口ずさまれ、ストリングスの美しいバックメロディに乗って『追憶』へ入っていく。この洗練された静かな導入部は何度聴いても感動する。そして、”・・・・・・・・Remember the way we were. ルルルルルルル〜“と歌い終わるとその余韻を壊さぬように一瞬静まり、やがて大波が押し寄せるように沸き起こる拍手・・・・・。この曲を聴くために針を落とす直前はいつも恋人に会う前のようなときめきを感じる。

ちなみにグラディスナイトは「ソウルの女帝」の異名で知られ、1996年クリーヴランドの「ロックの殿堂」入りをしている。

輸入盤CDはシングルバージョンの“The way we were”を含めたプラス8曲のボーナス版でこちらの方はアマゾンなどで検索すれば2000円ちょっとで手に入る品もある。が日曜日などのゆったりした気持のときは、かび臭いジャケットから取り出してラックス38FDの機嫌をうかがうようにチューニングしながらかすかな針音をまじえて聴く方が好きである。

どんな曲もそうだが愛聴する音楽というのは実生活の思い出にリンクしていることが多い。このLPは修業を終えてこの地に開業し、長女を授かりまだ生活にほとんどゆとりのない頃のものである。ジャケットにはその時代の生活の匂いが染みついているような気がする。